スターバックスにマニュアルが無いのはなぜ?
2022年現在、日本国内に1704店舗を構えるスターバックスコーヒー。誰もが一度は利用したことがあるのではないでしょうか。
カスタム可能なメニューや店舗ごとに異なるくつろぎ空間などスターバックスにはさまざまな特徴がありますが、その中でも特筆すべきは接客です。お客さんの心を捉えて離さない接客サービスの秘密は「マニュアルがないこと」だというのは有名な話ですが、その実態はどのようなものなのでしょうか。本記事ではその秘密を詳しくお伝えします。
一般的な飲食店とスターバックスの違い
一般的には数多くのマニュアルが整備されている
飲食店の中でも特に全国展開するようなチェーン店のオペレーションで重要なのは、「どの店舗に行っても同じような品質の商品、サービスを提供できること」です。それがひいてはお店ごとのブランディングにつながるため、飲食店においてマニュアルは欠かせないものとなっています。
一般的には調理、接客、商品説明、営業、清掃、クレーム対応など、業務ごとにマニュアルが整備されています。接客面についてはお客様入店時のあいさつから注文の取り方、商品の出し方に至るまで、細かに設定されていることも珍しくありません。
スターバックスには「接客マニュアル」がない
スターバックスの接客はどこの店舗に行っても店員さんの対応がにこやかで気持ちよく、ちょっとした心遣いが嬉しいものです。カップに書かれたメッセージはしばしば評判になりますし、注文に迷っていたらおすすめをしてくれることもあります。
このようなスターバックスの接客サービスは従業員が自発的に行っているものであり、前の項目で挙げたように一般的には存在する「接客マニュアル」がありません。これはスターバックス関係者のインタビュー記事でもたびたび言及されている事実です。「マニュアルがないのに高品質な接客サービスが提供できる」というのは、スターバックスの特色ともいえる重要な要素になっています。
スターバックスに接客マニュアルがない理由
スターバックスが接客で目指すのはホスピタリティの実現
マニュアルがないと、従業員に「どう働けばいいのかわからない」という困惑も与えかねません。リスクも一定ある中で、なぜスターバックスは接客マニュアルを用意していないのでしょうか。
答えは、スターバックスの人材教育に関する同社人事部の方のインタビュー記事(「『自主性を引き出す』人材マネジメントとは ~マニュアルがなくても人は動く~」2008年)の一文に集約されていました。
"ドリンクのレシピなど、品質にかかわるルールは厳しく定められています。でも、お客様へのサービスに関するマニュアルは、アルバイトも含めて一切ありません。スターバックスならではのホスピタリティを実現するためには、マニュアルで細かく縛るよりも権限を委譲して、パートナー個々の自主性や創意工夫をどんどん引き出したほうがいいと考えているからです。"
同社のサービスの根幹となる「ホスピタリティ」を実現するために、スタッフ全員の自主性や創意工夫を引き出す。そのためにあえてマニュアルを作っていないのです。
とはいえ、もちろんただ単に従業員に投げっぱなしにしているのではありません。同インタビューからは「ミッション宣言」というあるべき姿の共有に始まり「組織のフラット化」「現場への権限委譲」そして「コミュニケーション」「キャリアパス」など、人事制度全般が非常に綿密に設計されていることがわかります。
また別のインタビュー(2017年)」では、従業員のお客様に対する行動に対してコーチングとフィードバックを行っていると書かれており、マニュアルがないからこそ、従業員へのフォローを欠かしていないことも読み取れます。
スターバックスにとって接客は「付加価値業務」
スターバックスに接客マニュアルがないのは、ホスピタリティを実現するためということがわかりました。つまり、スターバックスにとっての接客は「手順の定まった誰でも同じようにこなすべき単純業務」ではなく、「感覚や知識から高度に判断する本来業務・付加価値業務」なのだと考えられます。
付加価値業務とはどんな企業にも14%ほど存在するもので、その企業が重視するポリシーや理念そのものを反映する、重要な業務です。スターバックスのポリシーとしてホスピタリティを重視しているからこそ、接客に付加価値を与えられるようあえてマニュアル化していないのです。
「単純業務」と「付加価値業務」の違いについては、以下の記事にも詳しく記載していますので、ぜひご覧ください。
社内の86%の業務はマニュアル化できる! ~30社の業務を見てわかったこと~
スターバックスがルールとして定める範囲とは?
ここまでご紹介したように、スターバックスにないのは「接客マニュアル」であり、そのほかの企業としてルール化すべき部分はしっかり定義・管理を行っています。「マニュアルがない」というイメージから誤解されやすいのですが、スターバックスはあくまでルール化すべき部分とそうでない部分を明確に区分けしているだけなのです。
次からはルールの内容や教育手法について詳しく見てみましょう。
メニューの品質はルールを定めて厳しく管理
スターバックスにおいて、ドリンクのレシピは厳しく決められているようです。どの店舗のどのスタッフに注文しても、まったく同じ味が楽しめる。これは多店舗展開の飲食店では何よりも大事なことです。当然ながら、この部分で従業員がアレンジできるような自由度は全くないようです。
またドレスコードも存在します。1996年の日本上陸以来、スターバックスは25年間従業員の服装の色や染髪を制限してきました。ただし2021年の7月からはこれらの規則が改訂され、より自由度がアップしたそうです。
厳しくルール化していた部分を時代に合わせて変化させていくのも、またスターバックスらしさなのかもしれません。
マニュアルの代わりに長時間の教育プログラムを利用
スターバックスでは上記で紹介したようなレシピや基本的なオペレーションを覚えるために、26時間の教育プログラムがきっちりと運用されています。
"新人は店舗のオペレーションを学ぶために、正社員、アルバイトの区別なく全員が同じ教育プログラムを受講します。最初のステップである「バリスタ(ドリンクをつくる技術者)」の研修だけでOFFJTが4クラス、OJTが7つのモジュールの計11プログラム。26時間を要します。"
スターバックスは「マニュアル」ではなく「綿密な教育プログラム」という手段でオペレーションの徹底的な標準化を図っているわけです。マニュアルも教育プログラムも、数ある手段の一つ。労力、時間、コストとそれによる効果を熟慮した結果、同社は(おそらくコストも時間も相当かかると思われますが)「教育プログラム」という手段を選択したのだと考えられます。
スターバックス従業員が携帯するマニュアル「グリーンエプロンブック」
ではスターバックスにマニュアルが全く存在しないのかというと、そうではありません。例えばスターバックスの従業員は、常に「グリーンエプロンブック」と呼ばれる小冊子を携帯しているそうです。
とはいえここに書かれているのは細かな業務手順ではなく、スターバックスが大事にしている5つの行動規範です。どちらかといえば、ザ・リッツ・カールトンでも採用されていることで有名な「クレドカード」に近いものでしょう。
実際にスターバックスの元CEO岩田松雄氏の著書の一つには『スターバックスのライバルは、リッツ・カールトンである。本当のホスピタリティの話をしよう』というものがあり、スターバックスが高級ホテルレベルのホスピタリティを目指していることが伺えます。
グリーンエプロンブックも、従業員がいつでも見返してホスピタリティ発揮に活用してもらうための存在なのです。
スターバックスの事例からの示唆
「スターバックスのようなサービスを提供したい」と考える飲食業界の企業は多いはず。スターバックスの事例からどんなポイントを活かせるのか、以下では3つの内容にまとめて考察してみます。
大事なのは「ルール化する部分」の洗い出し
スターバックスの事例を安易に「従業員の自主性に任せれば良質な接客ができる」と捉えるのはリスクがあります。大事なのは企業としてお客様にどんな価値や品質を提供したいのかを見極め、必要な部分は徹底的にルール化することです。手順をまとめると以下のようになるでしょう。
- 「ルールを守るところ(基礎)」と「自主性を尊重するところ(応用)」を区別する。
- ルールを徹底するための「しくみ」を構築、運用する。
- 「しくみ」=手段は、その会社にとって最適なものを選択する。
何が自社にとってルール化すべき部分なのかを見極めるためには、一度自社の理念やポリシーに立ち返ってみる必要があります。
基礎があってこそ応用が身に付く
ルール化した業務の基礎的な内容は、スターバックスのような教育プログラムか、整備されたマニュアルなどを通して従業員に徹底的に学んでもらう必要があります。基礎をしっかり身に付けてもらうことで、初めて応用的な業務に取り組む余裕が生まれるからです。
ここでいう「基礎」とは、特定の業務を正しく再現して実行できる、ということです。武芸や芸道などにおける「守破離」に例えるなら、基礎は「守」の部分。「守」があってはじめて「破・離」、つまりほかの人のやり方を真似る、あるいはそれらから新しく自分なりのやり方を生み出すといった自主的な動きができるのです。
自発的な動きをもたらすのは「エンゲージメント」と「権限委譲」
ルール化する部分を決め、基礎を固めて応用的な動きをしてもらう。これがスターバックスのような接客サービスに一歩近付く道になりそうですが、ここで重要なのは「エンゲージメント」と「権限委譲」です。
エンゲージメントというのは、従業員が企業の価値観にどれくらい共感しているかという度合いを示すもので、これが高ければ高いほど、従業員は自発的に企業に対して貢献しようという気持ちが生まれます。
スターバックス従業員の多くはスターバックスが提示する理念や考え方に共感し、エンゲージメント高く働いているそう。だからこそ、自ら「お客様に喜んでもらいたい」という気持ちで、様々な創意工夫に富むことができるのです。スターバックスが従業員のことを「パートナー」と呼ぶのも、エンゲージメント醸成の一環です。
そして従業員の自発的な動きを妨げないために必要なのが「権限委譲」です。せっかく従業員が良いアイデアを思いついても、「それはマニュアルにないからやってはいけない」と言われては意味がありません。従業員が安心して自発的な行動をできるよう、適切な権限を持たせてあげましょう。
まとめ
スターバックスには、一般的な飲食店なら必ず存在する「接客マニュアル」がありません。これはスターバックスが目指すホスピタリティの実現に向けて、従業員に自発的に創意工夫をこらした接客サービスをしてもらうための方針です。
このとき重要なのは、ただ単に従業員の自主性に委ねるのではなく、企業としてルール化するところとしないところを定め、ルール化した部分については教育プログラムやマニュアルをしっかり整えて教育をほどこすことです。さらに企業の考え方をしっかりと従業員に伝え、共感しながら働いてもらう必要もあります。
スターバックスの事例から汲み取れるポイントを、ぜひ自社の人材マネジメントに活かしてみてはいかがでしょうか。